円ブリオ基金センター

相談者からのありがとうの声

ことばの綾「あきらめる」

円ブリオ基金センター涼香さん(仮名)は4人目を身ごもりました。夫は小さな町工場で働いていて、収入は乏しく、実家は母子家庭でしたし、ギリギリ頑張っていた母親も病気になり、いよいよ実家の方は生活保護を申請しなければ、というところまで来てしまいました。  身ごもったとわかった時、お母さんからは4人目はあきらめるよう言われました。苦労はこれから今まで以上になることは明らかですし、生活費のことを考えると不安でいっぱいでした。しかしあきらめることは考えられないことでした。何を言われても「ちゃんと育てるから」と説得して頑張ってこられました。しかし健診費もままならず、おくれがちになり、今日の健診もどうしようかと迷っておられましたが、出産予定日も近くやっとの思いで病院に来られたのでした。そこでポスターに出会い連絡してこられました。「お陰様で安心して出産にのぞむことができ、無事にかわいい女の子がうまれました。これからもがんばります」。とお便りがきました。お姉ちゃん、お兄ちゃんたちも喜んでくれて、お母さんの頑張る力になっています。本当に良かった。   4番目だから「あきらめる」とはどういうことでしょうか?「堕胎」することは「殺す」ことです。しかし殺すと言わず「中絶」といい、それも言えず「あきらめる」と言います。マザーテレサははっきり言っています。「親が自分の子を殺す、そんなことが行われているところに真の平和はない」と。ことばの綾に惑わされず、かけがえのない命を守る勇気を持ちたいものです。


天の心・人の心

円ブリオ基金センター佳代子さん(仮名)は夜遅く電話してこられ、喫茶店で面会。7年前に離婚、故郷に戻って、小学1年の男の子と市営住宅に住み児童手当てとパートの仕事で生活してきました。佳代子さんが幼い頃母親が離婚し再婚しましたが、義父は厳しい人で援助は一切なく、子供をお母さんに預け一生懸命働きました。正社員になりたいと、母子家庭等就業自立支援センターで生活費を支給されながらパソコン教室(無料)に通うためパートの仕事を辞め、教室終了(3か月)後、仕事を探すつもりでした。 そんな折、1年前からおつき合いしていた男性との間に命を授かってしまったのです。相手の男性は高校時代の同級生で結婚したいと思っていました。ところが妊娠に気づいた頃、彼の会社が倒産し、失業手当を貰いながらアルバイト生活になってしまいました。赤ちゃんはどんどん大きくなるし、どうしたら乗り切れるか不安と心配で連絡してこられたのでした。 何回か面談を重ね、母子貸付制度や一時的に生活保護を受けることとか、役場の保健師さん、福祉課とのつながりなどアドバイスし、親身になって心配し、必要な援助はしてあげられるからと寄り添っていきました。8月には結婚して4人家族でしっかりやっていこうと思っていました。そのうち出血して急遽入院したため、費用を少しお借りしたいという申し出でした。 お母さんが驚かれたものの上の子を引き受けて下さり、彼と2人でお義父さんにも会って結婚届も出すなど誠意をもって一生懸命やりました。赤ちゃんは無事生まれましたが、小さくて母乳を吸う力がなく、搾乳して哺乳瓶に入れて飲ませています。しかし何より嬉しいのは、両方の両親が喜んでくれ、お兄ちゃんが可愛いがってくれていること。彼の仕事も彼女のバイト先も見つかったことなど、赤ちゃんがたくさんの幸せを持ってきてくれたのです。 命は授かりもので、一生懸命いのちを守ることは神様のご計画に協力することなのです。人知を超える神の御業(みわざ)は必ず人を幸せにする、その確信の下(もと)に今日も小さないのちのために走り回っている私たちです。


孤独な中で命を守ろうとする母の心

円ブリオ基金センターたまみさん(仮名)は21歳、孤独な中である人と出会い、まさかそんなにすぐ妊娠するなんて考えていませんでした。軽はずみだったかもしれません。妊娠に気づいたのは20週のころでした。びっくりし、戸惑い、どうしたらいいかわからず悩む毎日が続きました。相手の男性はDVで、ギャンブルばかりする人でしたから結婚もできないと思いました。もちろんお金もあてにはできません。
 やっと初めて病院に行ったのは25週の時でした。エコーを見て赤ちゃんが元気に動いているのを見て感動し、涙がとまりませんでした。自分の中でこんなに元気に生きているわが子、とにかく一生懸命働いて何とかこの子を守ろうと考えました。そしてぎりぎりまで働いたのですが貯金もなくどうすることもできなくて相談してきました。
 一人で頑張ってけなげに子供を守ろうとする姿は素晴らしいとおもいました。軽率だったかもしれませんが、現実をしっかり受け止めて若いのに、頑張って母になろうとしている姿に私たち相談室も今後を見守っていきたいとおもいました。


一本の電話線が守る命

円ブリオ基金センター日美子さん(仮名)は3年程前に結婚。しかし、入籍後夫は2か月足らずで退職してしまいました。母はうつ病を患っており、しかも夫は失業保険も退職金も結婚の時に頂いた祝儀も全部持って口座も持ち歩き、生活費も入れず、そのうち物を投げたりするようになり、別居を始めました。その頃現在の子供の父親と知り合い子供を授かりました。当初は戸籍上の夫との離婚も成立していないので中絶も考えましたが、検診の度に大きく成長していく子供の姿を見て、環境は不安定な中でも、お腹の中で一生懸命に生きている子供の命を守りたいと強く感じ、何とか独立して、保育士の資格を生かして新しい出発をしたいと考えるようになりました。
そして男の子を無事出産しました。こんなお手紙が来ました。
「この1年さまざまな問題を抱えて相談に乗っていただき、また助けていただき心から感謝しています。これからは自分が助けられた分できる範囲で人助けがしたいと思います。一人でも多くの人が困難な中でも安心して出産できるように心から願っています。このたびはお力を貸していただき本当にありがとうございました。」
何度も相談の電話に対応しどんな援助をしてあげられるかを相談し心を砕いた例でした。親身になって話を聞き1本の電話線が一つの命、母の心を守り育むものなのです。


最後の命綱の電話相談

円ブリオ基金センター早季子さん(仮名)はすでに30代後半になっていました。妊娠が分かった時、それは結婚できない相手との間にできた子供だった。周囲は両親も友人もどうして産もうとするの、中絶しなさいと。しかし彼女には中絶という選択肢はなく、生むと心に決めて、産んでマイナスになることは何もないと思って、すぐに区役所や福祉事務所に電話。しかし、どんな支援も受けられないことが分かった。悶々とした日々が続く中、赤ちゃんはもう9か月、相談だけでも、と思って円ブリオ基金センターに連絡してきたのです。仕事はやめざるを得ず経済的に支えがなく、帝王切開になるし、せっかく生む決意をしてもどうにもならなくなってしまったのでした。最後の最後のまさに命綱でした。 早季子さんからの言葉です。「出産直前での問い合わせにもかかわらず迅速にご対応いただき有難うございました。おかげで無事手術代を支払うことができました。そして何よりも一番励みになったのは未婚の状態で出産を決意したことを応援して下さるお言葉でした。これからも自分の決意を忘れず息子を育て自分も育てられて幸せに過ごしたいと思います。反対していたご両親も赤ちゃんを見に来てくれました。」